内山完造は、明治18(1885)年、 今の井原市芳井町吉井に生まれました。
大正元(1912)年にキリスト教に入信し、その翌年に京都教会の牧野牧師の紹介がきっかけで、目薬の会社である参天堂(今の参天製薬)に入りました。
完造は、参天堂目薬の中国での広告と販売を任せられ、上海へ移住しました。完造が、薬の売り込みのために中国や台湾に出歩いている留守の間、妻のみきが日本から賛美歌や聖書を取り寄せて在留邦人(海外に住んでいる日本人)に売ったところとても好評でした。その後、完造も薬の販売のかたわら文学書、雑誌、専門書を仕入れるようになり、内山書店として店を開きました。戦時中も日本人、中国人、朝鮮人の区別なく商いを行ったため、内山書店は急成長を遂げ、数年後には上海随一の日本書書店に成長しました。
また、内山書店は、本を買いにくる人だけでなく、たくさんの人がお茶を飲みながら楽しく語り合うことができる、日中文化交流の窓口としても有名で、魯迅など中国のすぐれた文学者も訪れ、交流を深めました。
昭和20(1945)年の敗戦と同時に、内山書店は中国に取り上げられ、完造も日本へ強制的に送り帰されましたが、帰国後は中国と中国人を理解してもらうため全国をまわって講演活動し、日本と中国の友好関係の回復を訴え続けました。
昭和25(1950)年に日中友好協会ができると初代理事長に就任し、日本全国を2000回以上くまなく歩き、日中友好活動に身を投げ続けました。
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