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米川よねかわ 文子ふみこ

活躍かつやくしたとし:1894~1995年

関係かんけいする市町しまち高梁市たかはしし

なにをしていた人?:筝曲家そうきょくか

関係かんけいのある情報じょうほう

清水比庵記念室しみずひあんきねんしつ高梁総合文化会館たかはしそうごうぶんかかいかん

 米川文子よねかわふみこは、明治めいじ27(1894)ねん高梁市間之町たかはししあいのまちまれました。
さいのときからあねについてことまなはじめ、9さいのときに筝曲そうきょく免許皆伝めんきょかいでんとなり、伝授書でんじゅしょけました。また、37さいのときには三弦さんげん免許皆伝めんきょかいでんとなり、伝授書でんじゅしょけました。
 大正たいしょう6(1917)ねん東京とうきょう筝曲そうきょく三弦さんげん学校がっこうつくり、おおくの子弟していそだてたり、たくさんの名曲めいきょくおくりました。
 文子ふみこは、現在げんざいではもっと一般的いっぱんてき五線譜ごせんふ使用しようした近代楽譜方式きんだいがくふほうしきもちいるなど、ことひろめたたくさんの業績ぎょうせき評価ひょうかされ、学術がくじゅつ芸術げいじゅつ、スポーツ分野ぶんや功労者こうろうしゃ授与じゅよされる紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょうするなど、数々かずかず名誉めいよけました。
 そして昭和しょうわ41(1966)ねんには、筝曲そうきょく最高さいこう技能ぎのうったひととして、人間国宝にんげんこくほう重要無形文化財保持者じゅうようむけいぶんかざいほじしゃ)の指定していけました。
 生涯しょうがいにわたる音曲技能おんぎょくぎのう振興発展しんこうはってんおおきく貢献こうけんしたことがみとめられ、昭和しょうわ53(1978)ねんに、芸術上げいじゅつじょう功績顕著こうせきけんちょ芸術家げいじゅつか優遇ゆうぐうするための栄誉機関えいよきかんである日本芸術院にほんげいじゅついん会員かいいん任命にんめいされました。

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