米川文子は、明治27(1894)年、高梁市間之町で生まれました。
3歳のときから姉について筝を学び始め、9歳のときに筝曲の免許皆伝となり、伝授書を受けました。また、37歳のときには三弦の免許皆伝となり、伝授書を受けました。
大正6(1917)年に東京で筝曲、三弦の学校を作り、多くの子弟を育てたり、たくさんの名曲を世に送りました。
文子は、現在では最も一般的な五線譜を使用した近代楽譜方式を用いるなど、筝を広めたたくさんの業績が評価され、学術、芸術、スポーツ分野の功労者に授与される紫綬褒章を受章するなど、数々の名誉を受けました。
そして昭和41(1966)年には、筝曲の最高の技能を持った人として、人間国宝(重要無形文化財保持者)の指定を受けました。
生涯にわたる音曲技能の振興発展に大きく貢献したことが認められ、昭和53(1978)年に、芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関である日本芸術院の会員に任命されました。
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