流域キッズ

赤松あかまつ 月船げっせん

活躍かつやくしたとし:1897~1997年

関係かんけいする市町しまち矢掛町やかげちょう

なにをしていた人?:詩人しじん

関係かんけいのある情報じょうほう

洞松寺とうしょうじ

 赤松月船あかまつげっせんは、明治めいじ30(1897)ねんいま浅口市鴨方町あさくちしかもがたちょう農家のうかまれました。小学校卒業しょうがっこうそつぎょう同時どうじ井原市いばらしにある善福寺ぜんぷくじ住職じゅうしょく赤松仏海あかまつぶっかい養子ようしになり、明治めいじ42(1909)ねん、13さいそうになり、を「月船げっせん」とあたらめました。  大正たいしょう3(1914)ねん四国しこく端応寺ずいおうじで、大正たいしょう5(1916)ねん福井ふくい永平寺えいへいじ修行しゅぎょうしましたが、大正たいしょう7(1918)ねん月船げっせんが21さいのとき、文学ぶんがくへの熱い思あつ おもいから僧の道そう みちはなれて上京じょうきょうしました。  日本大学宗教科にほんだいがくしゅうきょうか入学にゅうがくする一方いっぽうで、生田長江いくたちょうこうおしえてもらい、詩作しづくりにちからをいれ、『秋冷しゅんれい』『花粉かふん』『あかるきセレナード』などの詩集ししゅう次々つぎつぎ発表はっぴょうして注目ちゅうもくけました  昭和しょうわ11(1936)ねん帰郷ききょうし、洞松寺とうしょうじ矢掛町横谷やかげちょうよこだに)の住職じゅうしょくになり、文壇ぶんだんからとおざかりましたが、お釈迦しゃかさま・両祖りょうそさま(道元どうげんさま・瑩山けいざんさま)のおしえをまなび、ご先祖せんぞさまをうやまうこころをとなえる「詠讃歌えいさんか」に独自どくじ世界せかい切り開き ひきしました。  また、洞松寺とうしょうじ修復しゅうふくのために、もどってからひたすら字や絵じ え描き続えが つづけ、その活動かつどう神の恵かみ めぐみにより、てら修復しゅうふくおこなうことができたというかんがえから、てら境内けいだいに「神徳之碑しんとくのひ」が建立こんりゅうしています。

無断むだん画像等がぞうなど複製ふくせい転載てんさい加工かこうすることをきんじます。