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代官 井戸平左衛門の墓

関係かんけいする市町しまち笠岡市かさおかし

だいかん いどへいざえもんのはか

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】笠岡市笠岡【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和49年7月30日【所有】威徳寺

この史跡しせきについて

 井戸いど平左衛門へいざえもん正明まさあきらは、「いも代官だいかん」とばれためい代官だいかんです。享保きょうほう16(1731)年、60さいにして現在げんざい島根県しまねけん大森おおもり代官だいかんにとなり、翌年よくねんから笠岡代官かさおかだいかん兼務けんむしました。その当時とうじ西日本にしにほん一帯いったいはウンカの大発生だいはっせいによって未曾有みぞう大飢饉だいききん発生はっせいしていました。領民りょうみんすくうために幕府ばくふ許可きょかたずに年貢米ねんぐまいあたえました。さらに、やせ土地とちでもとれるサツマイモの栽培さいばい導入どうにゅうして、飢饉ききんをしのぎました。
 これらのすぐれた施策せさくによって、井戸代官いどだいかん支配地しはいちからは、ひとりの餓死者がししゃさなかったとつたえられます。享保きょうほう18(1733)年に笠岡かさおか病死びょうししました。はか笠岡かさおか威徳寺いとくじにあります。

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