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一の口水門

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

いちのくちすいもん

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市船穂町水江【年代】江戸時代
【指定年月日】平成17年12月5日【所有】倉敷市

この史跡しせきについて

 西高梁川にしたかはしがわからの灌漑用水路かんがいようすいろ拡張かくちょう整備せいびし、高瀬舟たかせぶね運行うんこう可能かのうにしたのが高瀬通たかせどおしです。完成した年代のことは、正確せいかくな記録がありませんが、寛文かんぶん4 (1664)年ごろであろうとされます。
 いち口水門くちすいもんとその下流かりゅう約350mの水門すいもん(通称船溜水門つうしょうふなだまりすいもん)との間で水位すいい調整ちょうせいし、高梁川流路高瀬舟たかはしがわりゅうろたかせぶね高梁川流路たかはしがわりゅうろに簡単に出入りできるようにしたものです。
 いち口水門くちすいもんから、水江又串みずえまたくし元組もとぐみ長崎鼻ながさきばな長尾ながお爪崎南端つまさきなんたん七島東端ななしまとうたん、さらに羽黒山麓はぐろさんふもとへとつらなるもので、これによって短い時間と距離きょり松山藩まつやまはん外港がいこう玉島港たましまこうへの舟運しゅううんが開かれました。水門すいもん構造こうぞういちくち水門すいもんの一部で創設時そうせつじ状態じょうたいをとどめています。
 17世紀せいき後半こうはんから20世紀せいきの初めまでの長期間にわたって続いた高瀬舟たかせぶねによる物資輸送ぶっしゆそうのことを今に伝える重要じゅうよう遺跡いせきです。

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