しもついじょうあと
関係のある情報
【場所】倉敷市下津井、下津井吹上【年代】安土桃山時代~江戸時代
【指定年月日】昭和43年7月19日【所有】倉敷市
この史跡について
備讃瀬戸の海に面した下津井は、昔から瀬戸内の軍事、海運にとって大切な場所でした。この地が政治的に重要であることから、地元の人達が城山と呼ぶ標高89mの丘陵には、16世紀にすでに宇喜多氏の城砦が築かれていたとされています。
慶長8(1603)年、岡山藩家老・池田長政が下津井城主となり、近世城郭の形に整備しました。丸本を中心として両側に二の丸・三の丸を備え、さらにその先に西出丸・東出丸を配するという構造になっています。
寛永16(1639)年、一国につき一城のみとする幕府の命令により、廃城となってからは、かつての姿を伝えるのは荒れはてた石垣だけになっていました。そのため、この地を訪れる人も少なかったのですが、近年、史跡内の散策路が整備されたことにより、地域の歴史に触れながら美しい瀬戸内の風景も楽しめる新しい学習の場となっています。
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