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岡田廃寺(金剛寺跡)

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

おかだはいじ(こんごうじあと)

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市真備町岡田【年代】飛鳥時代
【指定年月日】平成17年12月5日【所有】東薗神社外

この史跡しせきについて

 真備町岡田字山ノ谷金剛寺まびちょうおかだあざやまのたにこんごうじにある白鳳期はくほうきに始まる古代寺院跡こだいじいんあとです。南に向かってる低い舌状台地上ぜつじょうだいちじょうで、荒神社こうじんじゃ小祀しょうしがあり、ムクの木の巨木きょぼくの近くに立地りっちしています。
 本来の位置をたもつとみられる礎石そせき4個が並び、いずれにもしの円柱座えんちゅうざが認められます。付近ふきんはやや南北なんぼくに細長い方形ほうけいの高まりになっていて、寺院建物じいんたてもの基壇きだん痕跡こんせきを残しているかに見えますが、伽藍配置全体がらんはいちぜんたいのことなどはあきらかになっていません。
 古代寺院こだいじいんの年代は、寺跡出土てらあとしゅつど軒先瓦のきさきがわら文様もんようから推定すいていできますが、軒丸瓦のきまるがわら文様もんようは、蓮華文れんげもん外縁がいえん鋸歯文帯きょしもんたい珠文帯しゅもんたいをめぐらしたものが、2~3種あり、その文様もんようは、この地方に独特どくとくなものだとして、「吉備式きびしき」あるいは「備中式びっちゅうしき」の名でよばれています。
  蓮華文れんげもん花弁かべんの数が8弁のものは白鳳時代はくほうじだいすえ、16弁のものは奈良時代ならじだい平城宮遷都後へいじょうきゅうせんとごのころといわれています。軒平瓦のきひらがわら文様もんようには、小断片しょうだんぺんながら重孤文瓦じゅうこもんがわらがあり、年代は白鳳時代はくほうじだいだと考えられ、均整唐草文瓦きんせいからくさもんがわらは、国分寺創建こくぶんじそうけんの8世紀中せいきなかごろからの年代が推定すいていできます。

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