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石塔山古墳

関係かんけいする市町しまち:井原市

せきとうやまこふん

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】井原市大江町木田字木田【年代】古墳時代中期
【指定年月日】昭和40年8月25日【所有】井原市

この史跡しせきについて

 大江町おおえちょう石塔山山頂せきとうやまさんちょう(標高 ひょうこう105m)にある直径ちょっけい約15mの円墳えんふんで、墳丘中央部ふんきゅうちゅうおうぶに、天井石てんじょういしが6枚あり、その下に、長さ3.5m、はば0.85mの竪穴式石室たてあなしきせきしつをもっています。石室せきしつは、塊状かたまりじょう割石わりいしが使用されており、側壁そくへきは上にいくにしたがってせり出すようにきずかれています。
 昭和しょうわ34(1959)年の倉敷考古館くらしきこうこかん調査ちょうさで、この石室せきしつより、赤色顔料あかいろがんりょうられた男性の人骨じんこつ、ガラス玉、鉄剣てっけん出土しゅつどし、古墳時代中期こふんじだいちゅうき(今から約1500年前)につくられたことが確認かくにんされました。
 この石塔山せきとうやまから北にびる尾根上おねじょうには、前方後円墳ぜんぽうこうえんふんなどの古墳こふんもあります。石塔山古墳せきとうやまこふんふくめたこれらの古墳群こふんぐんは、古墳時代こふんじだい前半ぜんはん井原市南西部いばらしなんせいぶおさめた豪族ごうぞくやその関係者のはかであると考えられます。

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