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金敷寺裏山竪穴式墳墓

関係かんけいする市町しまち:井原市

かなしきじうらやまたてあなしきふんぼ

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】井原市笹賀町【年代】弥生時代末期~古墳時代初期
【指定年月日】昭和50年9月16日【所有】金敷寺

この史跡しせきについて

 この墳丘墓ふんきゅうぼは、経ヶ丸山きょうがまるやまの東のはし標高ひょうこう約180mの東へくだ尾根上おねじょうにある弥生時代末期やよいじだいまっきから古墳時代初期こふんじだいしょきにかけてつくられた方墳ほうふんです。墳丘内ふんきゅうないには葺石ふきいし方形ほうけいかれていました。また、墳丘ふんきゅうのほぼ中央にられた穴は、石でかこまれ、ひつぎのようになっています。
 石のひつぎは、長さ約2.6m、はば約0.7m、深さ約0.6mで、粗雑そざつ割石わりいしみ、側壁そくへきは、形も大きさもバラバラな石をみ、平らな6枚の天井石てんじょういしおおわれています。床面ゆかめんはゆるいU字形じがたに様々な小石をならべた独特どくとく構造こうぞうをしています。おそらく小型の割竹形木棺わりたけがたもっかん(木で作った竹のようなひつぎ)に似た形のものがえられていたと思われます。
 ゆかには、熟年男性人骨じゅくねんだんせいじんこつが1体、墳丘周辺ふんきゅうしゅうへんより特殊器台とくしゅきだい特殊壷とくしゅつぼ(めずらしい形のうつわつぼ)の破片はへん出土しゅつどしています。弥生時代やよいじだいから古墳時代こふんじだいへの移行期いこうき墳墓ふんぼとして貴重きちょう遺跡いせきです。

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