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高越城跡

関係かんけいする市町しまち:井原市

たかこしじょうせき

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】井原市東江原町高越字今屋【年代】鎌倉時代
【指定年月日】昭和50年9月16日【所有】井原市

この史跡しせきについて

 鎌倉時代末期蒙古襲来かまくらじだいまっきもうこしゅうらいさい宇都宮貞綱うつのみやさだつなによって築城ちくじょうされたと伝えられているこのしろは、南北朝なんぼくちょう合戦がっせんでも使用されました。戦国時代せんごくじだいには、備中伊勢氏びっちゅういせし那須氏なすしわって荏原郷えばらのごうおさめ、この高越城たかこしじょう居城きょじょうにしていました。
 伊勢新九郎盛時いせしんくろうもりとき(のち北条早雲ほうじょうそううん)は、この備中伊勢氏出身びっちゅういせししゅっしんといわれ、青年時代せいねんじだいをこのしろごしたと伝えられています。
 野上町のがみちょうから南方向へびる丘陵きゅうりょうにあり、標高ひょうこう約170m、山陽道さんようどう小田川おだがわ眼下がんかに広がり、笠岡かさおか矢掛やかげ井原市街地いばらしがいち見渡みわたせます。本丸ほんまるふくめて3だんくるわ構成こうせいされ、堀切ほりきりも残っており、現在も当時の様子をよくとどめています。

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