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黒宮大塚

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

くろみやおおつか

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市真備町尾崎【年代】弥生時代
【指定年月日】平成17年12月5日【所有】熊野神社

この史跡しせきについて

 真備町まびちょうの中心部を西から東に流れる小田川おだがわに向かって突出とっしゅつする標高ひょうこう43mの丘陵上きゅうりょうじょう黒宮大塚くろみやおおつかはあります。昭和しょうわ52年(1977)に倉敷考古館くらしきこうこかんによって発掘調査はっくつちょうさおこなわれました。
 墳頂部ふんちょうぶのやや北西よりで竪穴式石室たてあなしきせきしつ確認かくにんされ、床面ゆかめんかれた円礫上えんれきじょうにはしゅうすみとめられ、中軸部ちゅうじくぶくぼんでいることから、割竹形木棺わりたけがたもっかんかれ、石室せきしつには蓋石ふたいしはなく、本来ほんらい木蓋きぶたもちいられていたと推定すいていされています。
  副葬品ふくそうひんとしては勾玉まがたま1点、管玉くだたま1点が検出けんしゅつされたのみですが、石室せきしつの上の方からは、はかそなえられた特殊壷形土器とくしゅつぼがたどき器台きだい台付壷だいつきつぼ高坏たかつきなどの土器類どきるい80個体以上が出土しゅつどしました。
 出土しゅつどした土器類どきるいから、弥生時代後半やよいじだいこうはんつくられたものと考えられます。本遺跡ほんいせきは、古墳成立こふんせいりつにいたる過程かていを研究する上でくことのできない遺跡いせきであり、その時期に吉備地方かんけいきびちほうで成立した首長墓しゅちょうぼへの特殊とくしゅ土器どき供献状況きょうけんじょうきょうしめ墳墓ふんぼとしておおいに注目されています。

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