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ゆずりは城跡(楪城跡)

関係かんけいする市町しまち新見市にいみし

ゆずりはじょうあと

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】新見市上市【時代】室町時代頃
【指定年月日】平成15年8月2日【所有】新見市

この史跡しせきについて

 ゆずりはじょうてた人物じんぶつてられた時期じきについては、資料しりょうがないのではっきりとしていませんが、新見氏にいみしてたとつたえられています。
 永禄年間えいろくねんかん(1558~1570)ごろ三村氏みむらしめられて新見氏にいみし敗走はいそうし、三村元範みむらもとのり城主じょうしゅとなりしろひろげたり、ととのえると同時どうじに、まわりのしろとりでととのえました。このしろあとは、標高ひょうこう420~490mで平地へいちとのたかさのやく200~240mの南北なんぼくびる尾根おね線上せんじょうきずかれた連郭式れんかくしき山城やまじろで、本丸ほんまる・二のまる・三のまるからできています。本丸ほんまるは、このうち最北さいほく標高ひょうこう470~490mの尾根おね頂部ちょうぶ一帯いったいきずかれていて、4つのくるわ構成こうせいされています。
 備中北部びっちゅうほくぶでは、備中松山城びっちゅうまつやまじょう規模きぼほこっていたしろとして貴重きちょう史跡しせきです。

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