流域キッズ

敬業館の跡

関係かんけいする市町しまち笠岡市かさおかし

けいぎょうかんのあと

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】笠岡市笠岡【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和38年12月25日【所有】笠岡市

この史跡しせきについて

 敬業館けいぎょうかんは、江戸時代えどじだい寛政かんせい10(1798)年にできた庶民しょみんのための学校がっこうです。
 当時とうじ笠岡代官かさおかだいかん早川はやかわ八郎はちろう左衛門ざえもん正紀まさとし許可きょかて、地元じもと有志ゆうし寄付金きふきんもと建設けんせつされました。初代しょだい教授きょうじゅは、陣屋稲荷宮じんやいなりぐう宮司ぐうじだった小寺清先こでらきよさきつとめました。
 その清先きよさき廉之かどゆきが2代目だいめ教授きょうじゅに、廉之かどゆき完之かんしが3代目だいめ教授きょうじゅになりました。私塾しじゅくて、明治めいじ16(1883)年に学館がっかん閉鎖へいさされるまで、笠岡かさおかの教育きょういくささつづけました。
 現在げんざい敷地しきち一角いっかくには、生徒せいと寄宿舎きしゅくしゃもん復元ふくげんされ、早川はやかわ代官だいかん小寺こでら清先きよさきをたたえる2石碑せきひのこっています。

無断むだん画像等がぞうなど複製ふくせい転載てんさい加工かこうすることをきんじます。