関長治・関政辰墓所
関係する市町:新見市
せきながはる・せきまさときぼしょ
関係のある情報
【場所】新見市新見【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和57年9月7日【所有】西来寺
この史跡について
新見藩初代藩主の関長治と、4代藩主の政辰のお墓は西来寺にあります。
このお寺は、元禄11(1698)年に長治から与えられた現在地に良高和尚が堂塔を建て、関家の菩提寺としたことに始まります。
長治は元禄10年(1697)に新見藩初代藩主となり、新見へやってきた後、建物などを整備し、現在の新見の基礎を築き、元文3(1738)年に亡くなりました。政辰は4歳で4代藩主となりますが、安永3(1774)年にわずか18歳で亡くなりました。
お墓は、正面に長治の墓標があり、その後方に政辰の墓標が建てられ、それぞれに水盤と一対の石燈籠が置かれています。
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