いたじきすいもん
関係のある情報
【場所】倉敷市南畝4丁目、潮通3丁目【年代】江戸時代
【指定年月日】平成7年12月1日【所有】倉敷市
この史跡について
岡山藩によって弘化2(1845)年から嘉永5(1852)年にわたり干拓された福田新田は 625万㎡にも及び、それを囲む堤防には、余分な水や汚れた水を排出するための水門が3カ所に築かれました。そのうちの一つが板敷水門です。
幅10m、深さ6mに積み上げられた水門の石垣は、花崗岩を用いた高度なきり込み剥ぎの技法が使われており、 造られた年を表わす「嘉永二年 夏六月造」(1849)の銘が刻まれています。また、水門奉行・手代など水門築造に係わった人々の名前が刻まれた石材片なども指定に含まれています。
現在の倉敷市の大半は江戸時代以降の新田開発によるもので、 その名残りといえる板敷水門はこうした倉敷市の歴史を伝える貴重な遺産です。
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