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重玄寺跡

関係かんけいする市町しまち:井原市

ちょうげんじあと

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】井原市芳井町天神山【年代】室町時代
【指定年月日】平成17年3月16日【所有】重玄寺

この史跡しせきについて

 嘉吉元かきつがん(1441)年に建立こんりゅうされた臨済宗仏通寺派りんざいしゅうぶっつうじは寺院じいんで、開山かいざん近衛家このえけゆかりの千畝周竹せんみょうしゅうちくまねきました。そのため現在も近衛家このえけゆかりの宝物が伝えられています。
 また、千畝せんみょう(周竹しゅうちく)和尚おしょうは、画聖がせい雪舟せっしゅう親交しんこうがあり、そのため重玄寺ちょうげんじ雪舟せっしゅう終焉しゅうえんの場所と伝えられ、多くの文献ぶんけんにその記載きさいがあります。(『東福寺誌とうふくじし』、『吉備物語きびものがたり』、『古画備考こがびこう』、『備中集成志びっちゅうしゅうせいし』、『也足外集やそくげしゅうとう)
 創建後そうけんご、何度か火災かさいい、天正年間てんしょうねんかん(1573~1592)に焼失しょうしつしたさいには豊臣秀吉とよとみひでよし方丈ほうじょう寄進きしんしたと言われていますが、昭和しょうわ30(1955)年鐘楼門しょうろうもん土蔵どぞうを残してふたた全焼ぜんしょうし、現在の重玄寺ちょうげんじ井原市芳井町吉井篠原いばらしよしいちょうよしいしのはらにあります。

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