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義民埋葬地

関係かんけいする市町しまち総社市そうじゃし

ぎみんまいそうち

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】総社市新本【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和40年7月2日【所有】西明寺ほか

この史跡しせきについて

 新本しんぽんは、岡田藩おかだはん領地りょうちでしたが、村の人々ひとびと共同きょうどう使用しようしていた入会山いりあいやま木々きぎ伐採ばっさい下草したくさ採草さいそうきんじたため、村人はまき田畑たはた草肥くさこえ牛馬ぎゅうば飼料しりょうなどをることができなくなりました。そのうえ享保きょうほがん(1716)ねんには、藩有林はんゆうりんの木を伐採ばっさい運搬うんぱんする重労働じゅうろうどうめいじられ、その労働ろうどう度重たびかさなり農耕のうこうにもさしつかえるようになりました。こまてた村人は、はんとの対決たいけつ覚悟かくごし、はん嘆願書たんがんしょ提出ていしゅつしましたがき入れられませんでした。
 そのため、享保きょうほ3(1718)年に村人4人を江戸えど派遣はけんして、藩主はんしゅ伊東長救いとうながひら直訴じきそした結果けっかねがいがとどけられました。しかしながら、当時とうじ直訴じきそきんじられていたため、4人は新本しんぽん飯田屋いいだや川原かわらくびになりました。遺体いたいわたされ、4人のうち3人は西明寺さいみょうじに、1人は稲井田いないだ手厚てあつほうむられました。
 毎年まいとしなつには、この4人の義民ぎみんをしのび、義民祭ぎみんさいが行われています。

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