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備中国分寺五重塔

関係かんけいする市町しまち総社市そうじゃし

びっちゅうこくぶんじごじゅうのとう

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】総社市上林【指定年月日】昭和55年12月18日【所有】国分寺【見学】見学可

この建造物けんぞうぶつについて

 日照山国分寺にっしょうざんこくぶんじは、奈良時代ならじだいてられた備中国分寺びっちゅうこくぶんじ再建さいけん目指めざした増鉄和尚ぞうてつおしょうにより、江戸えど時代・享保きょうほう2(1717)年から19年の歳月さいげつついやしててられたものです。
 吉備路きびじのシンボルともいうべき五重塔ごじゅうのとうは、国分寺こくぶんじ再興さいこうからおよそ100年後の文政ぶんせい4(1821)年ごろより、証旭和尚しょうきょくおしょうによって建立こんりゅうはかられました。工事こうじ完了かんりょうしたのは、天保てんぽう14(1843)年か弘化元こうかがん(1844)年のことといわれています。県内唯一ゆいいつ五重塔ごじゅうのとうで、初重しょじゅうから三重さんじゅうまでがケヤキ材を、四重しじゅう以上がマツの木を主に使用しています。

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