茅原 基治
活躍した年:1885~1942年
関係する市町:笠岡市
何をしていた人?:「陽明丸」船長
関係のある情報
笠岡市教育委員会提供
明治18(1885)年に小田郡(笠岡市)で生まれました。北川小学校、旧制金光中学校で学び、船舶業に就きました。大正6(1917)年、ロシア帝国で革命がおこりロシアの治安が悪化しました。米国赤十字社はウラジオストクに保護したロシアの子どもたちを、海路でヨーロッパまで運び親元に返す計画を立てました。この任務に各国の船舶会社が協力を断る中、勝田汽船の社長だけが協力を申し出て、茅原基治を船長に任命しました。 大正9(1920)年7月9日、茅原船長の乗るはロシア人の子どもら960名を乗船させ、ウラジオストク港から出航しました。陽明丸は太平洋、大西洋を横断し、機雷の浮くバルト海を慎重に通過して、10月10日、フィンランドに子どもたちを送り届けました。 この命をかけた冒険の旅は、その後長く忘れ去られていましたが、救出されたロシア人の孫にあたるオルガ・モルキナさんに頼まれたさんが、平成23(2011)年に茅原船長の故郷を突き止めました。こうしてオルガ・モルキナさんは、笠岡市にある茅原船長のお墓にお参りすることができました。 茅原船長の手記『赤色革命余話 露西亜小児団輸送記』が金光図書館(岡山県浅口市)で保管されており、冒険の旅路と船長の暖かな人柄を知ることができます。
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