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宝福寺三重塔

関係かんけいする市町しまち総社市そうじゃし

ほうふくじさんじゅうのとう

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】総社市井尻野【時代】室町時代
【指定年月日】昭和2年4月25日【所有】宝福寺【見学】見学可

この建造物けんぞうぶつについて

 宝福寺ほうふくじは、天台宗てんだいしゅうてらとしててられましたが、鎌倉時代かまくらじだいの中ごろに、臨済宗りんざいしゅう改宗かいしゅうされ、有力ゆうりょく禅宗寺院ぜんしゅうじいんとしてさかえました。現在げんざいぜん修行しゅぎょうや、秋の紅葉こうよう名所めいしょとして、多くの人々がおとずれています。
 境内けいだいにある三重塔さんじゅうのとうは、南北朝時代なんぼくちょうじだい永和えいわ2(1376)年に建てられたもので、県下では、弘安こうあん8(1285)年に建てられた美作市みまさかし長福寺ちょうふくじとうに次いで2番目に古いとうです。宝福寺ほうふくじの中でも、戦国時代せんこくじだい戦火せんかまぬがれ残っている唯一ゆいいつの建物です。本瓦葺ほんがわらぶき丹塗にぬりの三重塔さんじゅうのとうで、各重かくじゅうのバランスも良い名塔めいとうです。
 宝福寺ほうふくじには、総社市赤浜あかはまで生まれたとされる画聖がせい雪舟せっしゅうが子供のころ修行しゅぎょうをし、なみだでネズミのいたというはなしがあります。雪舟せっしゅうはこの三重塔さんじゅうのとう日々ひびながめ、塔内とうないにも足をみ入れていたとおもわれます。

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