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大橋家住宅

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

おおはしけじゅうたく

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市阿知3丁目【時代】江戸時代【指定年月日】昭和53年1月21日【所有】個人【見学】見学可

この建造物けんぞうぶつについて

 大橋おおはしは、江戸えど後期こうき倉敷くらしきにおいて、塩田えんでん新田しんでん開発かいはつによってざいをなした大地主じぬしで、大はら家と共に「新禄しんろく」と呼ばれる新興しんこう勢力せいりょくとなっていました。
 住宅じゅうたく屋敷やしきがまえは大原家と大きくちがっています。主屋おもやとおりに直接ちょくせつめんしておらず、にわへだて門の奥側おくがわにあります。
 建物たてものは、1かいに倉敷格子こうし、2階に倉敷まどがあり、米蔵こめぐら内蔵うちぐらは『なまこかべ』で仕上しあげられていて、うつくしい姿すがたを見せています。
 倉敷町屋まちや特徴とくちょうをよくしめしているとして、主屋・長屋ながや門・米蔵・内蔵の4とうが国の指定してい文化ざいとなっています。平成へいせい3年~7年の3年4カ月をかけて、建物たてもの保存ほぞん修理しゅうり工事こうじが行われ、当時とうじかがやきをもどしました。この修理のときに見つかった資料しりょうにより、寛政かんせい8(1796)年~寛政11(1799)年にかけておもな部分がてられ、その後、文化4(1807)年、嘉永かえい4(1851)年の2にわたって大改造かいぞうが行われたことがわかっています。
 もっとも屋敷構えのととのった嘉永4年の姿すがた復元ふくげんされて公開されており、地主の繁栄はんえいぶりをうかがい知ることができます。

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