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青龍寺観音堂

関係かんけいする市町しまち:新見市

しょうりゅうじかんのんどう

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】新見市新見【時代】
【指定年月日】昭和44年9月25日【所有】青龍寺【見学】見学可

この建造物けんぞうぶつについて

 本堂ほんどうは、寄棟よせむねづくり茅葺かやぶきで、桁行三間けたゆきさんけん梁間はりま三間の三間堂です。柱は大きく面を取った角柱にふな肘木ひじきを乗せるだけの簡素かんそな中世風の外観がいかんです。青龍しょうりゅうは、真言しんごんしゅう醍醐だいごの古い寺です。大同年間だいどうねんかん(806~810)、とうから帰朝きちょうした空海が教えをくために各地かくちめぐるとき、この地に足をめ、その様子がかつて修業しゅぎょうした長安ちょうあん黒髪山東塔くろかみやまとうとう青龍寺にているとして、伽藍がらん建立こんりゅうし、真言密教の霊場れいじょうとしたのが本寺と伝えられています。その後、天正てんしょう3(1575)年、毛利もうりと三村の争乱そうらん焼失しょうしつし、万治まんじ年間(1658~1660)、備中びっちゅう松山はんだい藩主の水谷勝隆みずのやかつたか(1597~1664)がそのままに復元ふくげんしたのが現在げんざいの堂です。

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