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旧広兼家住宅

関係かんけいする市町しまち高梁市たかはしし

きゅうひろかねけじゅうたく

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】高梁市成羽町中野【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和59年11月15日【所有】岡山県【見学】見学可

この建造物けんぞうぶつについて

 広兼氏は、ベンガラの中間生成物であるローハで巨大な富を築いた庄屋です。特に石垣はお城を想像させるもので、当時の富豪の姿をしのばせています。
 2階建ての主屋、土蔵、楼門、長屋、石垣は江戸時代後期の建築で、規模・構造ともに雄大なものとなっています。離れは、大正時代の建築で、お茶室や客間を備えたお座敷であり、当主の結婚式に一度使用されただけで、以後は使用されていないと言われています。
 正面の尾根上には広兼氏個人の神社として祀られた天広神社あまひろじんじゃがあり、境内には花が植えられ、池・築山つきやまが造られ、全体的には庭園風となっており、「衆楽園」と呼ばれています。

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