「木のこころ-大野昭和斎」展図録より転載
大野昭和斎は、明治45(1912)年に指物師の斎三郎の長男として総社市に生まれました。
小学校を卒業と同時に、指物師の父について木工芸の道に入りましたが、職人気質に徹した父は年少の我が子にも厳しい態度で接し、自分の持つ木竹工芸の技術の全てを仕込みました。生まれつき素質があった昭和斎は、生涯父のほかに一人の師匠も求めず、全て独創で至高の芸術に到達したのでした。
彼の青春時代、その才能がただものでないと見抜いたのは、当時第一級の絵師であり、文人であった柚木玉邨でした。玉邨は「昭和の名工たれ」との意を込めて昭和斎の雅号(画家などが本名以外に付ける風流な別名)を送りました。
昭和40(1965)年、第12回日本伝統工芸展に「拭漆欅香盆」で初めて入選すると、昭和43(1968)年には、第15回日本伝統工芸展で「拭漆桑飾筥」が日本工芸会会長賞を受賞し、木工芸の第一人者としての地位をゆるぎないものとしました。
昭和52(1977)年には、岡山県重要無形文化財に指定され、木の心を知った名匠・大野昭和斎の技術が公に保存され、後進に伝えられる基礎が確立しました。それから7年後の昭和59(1984)年には、独自の杢目沈金技法を完成させ、国の重要無形文化財(人間国宝)の認定を受けました。
指物、刳物、木象嵌など各種の技法を巧みに組み合わせ、伝統技術の受け継ぐとともに現代的な造形感覚を盛り込んだ作品と昭和最後の優れた工芸人として今も多くの人々に愛されています。
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