ふりがな
まなぼう!
ひらく
とじる
流域連盟の
紹介
しょうかい
高梁川について
高梁川流域ゆかりの
偉人・賢人
いじんけんじん
高梁川流域の
伝統行事
でんとうぎょうじ
と
芸能
げいのう
高梁川流域の
指定文化財
していぶんかざい
(
史跡
しせき
)
高梁川流域の指定文化財(
建造物
けんぞうぶつ
)
高梁川流域の指定文化財(
天然記念物
てんねんきねんぶつ
)
つかおう!
ひらく
とじる
流域パスポート
交流広場
こうりゅうひろば
みてみよう!
ひらく
とじる
流域MAP
流域パスポート施設紹介
キャラクター
紹介
しょうかい
流域連盟
りゅういきれんめい
の
紹介
しょうかい
高梁川
たかはしがわ
について
偉人
いじん
・
賢人
けんじん
特集
とくしゅう
伝統的
でんとうてき
な
行事
ぎょうじ
と
芸能
げいのう
指定文化財
していぶんかざい
(
史跡
しせき
)
指定文化財
していぶんかざい
(
建造物
けんぞうぶつ
)
指定文化財
していぶんかざい
(
天然記念物
てんねんきねんぶつ
)
流域
りゅういき
パスポート
交流広場
こうりゅうひろば
高梁川流域
たかはしがわりゅういき
マップ
流域
りゅういき
パスポート
施設紹介
しせつしょうかい
キャラクター
紹介
しょうかい
赤沢
あかざわ
文治
ぶんじ
活躍
かつやく
した
年
とし
:1814~1883年
関係
かんけい
する
市町
しまち
:
浅口市
あさくちし
何
なに
をしていた人?:
宗教家
しゅうきょうか
関係
かんけい
のある
情報
じょうほう
・
金光教祖
こんこうきょうそ
ご
生家
せいか
・
立教聖場
りっきょうせいば
・
小野家庄屋跡
おのけしょうやあと
・
金光教本部
こんこうきょうほんぶ
肖像
しょうぞう
については、その
教
おし
えにより
残
のこ
されておりません。
イラストを
見
み
る
写真
しゃしん
を
見
み
る
赤沢文治
あかざわぶんじ
は、
文化
ぶんか
11(1814)
年
ねん
、
今
いま
の
浅口市金光町占見
あさくちしこんこうちょううらみ
の
農家
のうか
の
次男
じなん
に
生
う
まれました。12
才
さい
で
今
いま
の
金光町
こんこうちょう
大谷
おおたに
の
農民川手家
のうみんかわてけ
の
養子
ようし
となりますが、
養父
ようふ
の
遺言
ゆいごん
で
赤沢姓
あかざわせい
に
変
か
え
家
いえ
を
継
つ
ぎました。
実直
じっちょく
で
勤勉
きんべん
であったため、
家運
かうん
は
向上
こうじょう
し、
社会的信用
しゃかいてきしんよう
も
得
え
ましたが、
家族
かぞく
の
死
し
が
続
つづ
くなどの
苦難
くなん
に
遭
あ
い、
自身
じしん
も42
才
さい
のとき「のどけ」というのどの
大
おお
きな
病気
びょうき
にかかり、
死
し
に
直面
ちょうくめん
しました。その
時
とき
に、
新
あら
たな
神
かみ
と
出会
であ
い、そこから
独自
どくじ
の
信仰生活
しんこうせいかつ
を
始
はじ
めることとなりました。
当時
とうじ
、たたり
神
がみ
とされていた
金神
こんじん
を
地
ち
の
神
かみ
とし、
民間信仰
みんぞくしんこう
の
神々
かみがみ
をまとめた「
天地金乃神
てんちかねのかみ
」の
命
めい
により、
安政
あんせい
6(1859)
年
ねん
に
人の願
ひと ねが
いを
神に祈
かみ いの
り、
神の願
かみ ねが
いを
人に語
ひと かた
るという
取次
とりつぎ
の
仕事
しごと
を
始
はじ
め、
残
のこ
りの
半生
はんせい
を
信仰
しんこう
に
捧
ささ
げました。
自分
じぶん
の
伝記
でんき
である『
金光
こんこう
大神
だいじん
御
おん
覚書
おぼえがき
』をはじめ、『お
知
し
らせ
事覚帳
ごとおぼえちょう
』などを
書
か
いています。
金光教
こんこうきょう
は、
天理教
てんりきょう
、
黒住教
くろずみきょう
とともに
幕末三大新興宗教
ばくまつさんだいしんこうしゅうきょう
にあげられます。
このページを
印刷
いんさつ
する