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大野おおの 昭和斎しょうわさい

活躍かつやくしたとし:1912~1996年

関係かんけいする市町しまち倉敷市くらしきし

なにをしていた人?:木工芸家もっこうげいか

関係かんけいのある情報じょうほう

倉敷市大野昭和斎記念資料館くらしきしおおのしょうわさいきねんしりょうかん

大野昭和斎380
大野昭和斎
「木のこころ-大野昭和斎」展図録より転載
 大野昭和斎おおのしょうわさいは、明治めいじ45(1912)ねん指物師さしものし斎三郎さいさぶろう長男ちょうなんとして総社市そうじゃしまれました。
 小学校しょうがっこう卒業そつぎょう同時どうじに、指物師さしものしちちについて木工芸もっこうげい道に入みち  はいりましたが、職人気質しょくにんかたぎてっしたちち年少ねんしょう我が子わ こにもきびしい態度たいどせっし、自分じぶん木竹工芸もくちくこうげい技術ぎじゅつすべてを仕込しこみました。まれつき素質そしつがあった昭和斎しょうわさいは、生涯父しょうがいちちのほかに一人ひとり師匠ししょうもとめず、すべ独創どくそう至高しこう芸術に到達げいじゅつ とうたつしたのでした。
 かれ青春時代せいしゅんじだい、その才能さいのうがただものでないと見抜みぬいたのは、当時第一級とうじだいいっきゅう絵師えしであり、文人ぶんじんであった柚木玉邨ゆのきぎょくそんでした。玉邨ぎょくそんは「昭和の名工しょうわ めいこうたれ」との意を込い こめて昭和斎しょうわさい雅号がごう画家がかなどが本名以外ほんみょういがいける風流ふうりゅう別名べつめい)をおくりました。
 昭和しょうわ40(1965)ねん第12回日本伝統工芸展だい かいにほんでんとうこうげいてんに「拭漆欅香盆ふきうるしきょこうぼん」ではじめて入選にゅうせんすると、昭和しょうわ43(1968)ねんには、第15回日本伝統工芸展だい かいにほんでんとうこうげいてんで「拭漆桑飾筥ふきうるしくわかざりばこ」が日本工芸会会長賞にほんこうげいかいかいちょうしょう受賞じゅしょうし、木工芸もっこうげい第一人者だいいちにんしゃとしての地位ちいをゆるぎないものとしました。
 昭和しょうわ52(1977)ねんには、岡山県重要無形文化財おかやまけんじゅうようむけいぶんかざい指定していされ、こころった名匠めいしょう大野昭和斎おおのしょうわさい技術ぎじゅつおおやけ保存ほぞんされ、後進こうしんつたえられる基礎きそ確立かくりつしました。それから7年後ねんご昭和しょうわ59(1984)ねんには、独自どくじ杢目沈金技法もくめちんきんぎほう完成かんせいさせ、くに重要無形文化財じゅうようむけいぶんかざい人間国宝にんげんこくほう)の認定にんていけました。
 指物さしもの刳物くりもの木象嵌もくぞうがんなど各種かくしゅ技法ぎほうたくみに組み合く あわせ、伝統技術でんとうぎじゅつ受け継う つぐとともに現代的げんだいてき造形感覚ぞうけいかんかく盛り込も こんだ作品さくひん昭和最後しょうわさいごすぐれた工芸人こうげいにんとしていまおおくの人々ひとびとあいされています。

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