山室 軍平
活躍した年:1872~1940年
関係する市町:新見市
何をしていた人?:宗教家
関係のある情報
・山室軍平顕彰碑
山室軍平は、明治5(1872)年、今の新見市哲多町に生まれました。
明治14(1881)年に杉本家の養子になり、漢学者である松浦黙の塾で儒学の教えを勉強しました。明治19(1886)年になると、東京の学校で勉強することを望みましたが許してもらえず、14歳で印刷工となり、16歳でキリスト教に入信し、苦学しながら同志社英学校で神学を学びました。
明治28(1895)年、来日したイギリス救世軍の司令官であった E.ライトを訪問し、イギリス救世軍に入隊しました。その後、日本救世軍(軍隊を模した組織をとって行う活動で有名なキリスト教会)の創設に力を尽くしました。その活動の中で、『平民之福音』というキリスト教の入門書を書き、布教活動の一環としてさまざまな社会事業(女性救済、児童保護、結核療養所普及、廃娼運動など)を行いました。中でも、明治42(1909)年の12月以来、三脚に鍋をつるし、街頭に出て市民に善意の協力を呼びかけた「社会鍋」は日本で最初の募金活動として有名です。
九州・沖縄での伝道活動で体調が悪くなりましたが、病気の身体で活動をつづけ、昭和15(1940)年、68歳で生涯を終えました。
40年以上にわたる活動で手がけた仕事と施設は300にのぼり、近代岡山で社会事業(福祉活動)に取り組み貢献した「岡山四聖人」の一人として有名です。
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