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木山きやま 捷平しょうへい

活躍かつやくしたとし:1904~1968年

関係かんけいする市町しまち笠岡市かさおかし

なにをしていた人?:詩人しじん小説家しょうせつか

関係かんけいのある情報じょうほう

笠岡市立図書館「木山捷平文学かさおかしりつとしょかん きやましょうへいぶんがくコーナー」
木山捷平生家きやましょうへいせいか
木山捷平詩碑きやましょうへいしひ

木山捷平 380
木山捷平 笠岡市教育委員会提供かさおかしきょういくいいんかいていきょう
 木山捷平きやましょうへいは、明治めいじ37(1904)ねんいま笠岡市山口かさおかしやまぐちまれました。
 捷平しょうへい文学ぶんがくへのみちこころざししたのは中学校時代ちゅうがっこうじだいからでした。父親ちちおや反対はんたいされ学校がっこう先生せんせいとなった時期じきもありますが、文学ぶんがくへのこころざしてきれず、大正たいしょう14(1925)ねん上京じょうきょうしました。詩人しじん、そして小説家しょうせつかとして作家活動さっかかつどうをし、ふるさと笠岡かさおか風土ふうど素材そざいにした小説しょうせつおおのこしました。
 昭和しょうわ19(1944)ねん文筆活動ぶんぴつかつどう活躍かつやくもとめて旧満州国きゅうまんしゅうこくいま中国東北部ちゅうごくとうほくぶ)にわたりましたが、現地げんち召集しょうしゅうされぐん入隊にゅうたいし、終戦後しゅうせんご生死せいしあいだをさまよう難民生活なんみんせいかつおくりました。
 昭和しょうわ31(1956)ねん発表はっぴょうした小説しょうせつ耳学問みみがくもん』が好評こうひょうで、昭和しょうわ37(1962)ねん戦争体験せんそうたいけんをもとにいた長編大作ちょうへんたいさく大陸たいりく細道ほそみち』によって人気作家にんきさっかとしての地位ちい確立かくりつしました。
 捷平しょうへい作品さくひんには、生活せいかつ交友こうゆうのなかから題材だいざいひろげ、それを文学ぶんがく押し上お あげた私小説ししょうせつおおく、満州まんしゅうでのつらくくるしかった生活体験せいかつたいけんによってふかめられた人生観じんせいかんをもとに、のびのびとした、果敢かかん精神せいしんをもってえがされたものがおおいです。
 捷平しょうへい顕彰けんしょう文学振興ぶんがくしんこう目的もくてきとして「笠岡市木山捷平文学選奨かさおかしきやましょうへいぶんがくせんしょう」という文学作品ぶんがくさくひんのコンクールが毎年開まいとしひらかれています。

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