磯崎 眠亀
活躍した年:1834~1908年
関係する市町:倉敷市
何をしていた人?:実業家
関係のある情報
・磯崎眠亀記念館
倉敷市所蔵写真
磯崎眠亀は天保5(1834)年、今の倉敷市茶屋町の織物屋・児島屋の家に生まれました。
早くに父母を亡くした眠亀は、領主である戸川氏の江戸の屋敷で仕えることになったものの、先祖から受け継がれた開拓魂と創造性が眠亀の心を揺るがし、再び織物の世界へ舞い戻りました。
天職を得た眠亀は、織機の改良や発明によって、次々と新しいものを生み出していきました。
こうしたなか、ウィーン万国博覧会(1873年開催)に出品されたセイロン産の竜鬢莚(花ござの一種)を見て、岡山特産のい草を使った精巧緻密なむしろ(敷物の一種)をつくろうと思い立ち、明治11(1878)年、苦労の末に花むしろ「錦莞莚」の発明に成功しました。
しかし、「錦莞莚」は高価すぎて国内ではあまり売れませんでしたが、日本の輸出品として重要輸出品目になり岡山県の代表的な特産品になりました。
そのため技術保護にも配慮し、日本の特許制度の基礎をつくることにもつながっています。
産業、資本主義の育成により国家の近代化を推進したことが評価され、明治30(1897)年に緑綬褒章を受章しました。
青年時分から筋を通す癖があり、外国商人の卑劣な商法にただ一人真正面から戦ったことがあります。
改修された旧宅は、昭和63(1988)年、磯崎眠亀記念館として開館し、平成12(2000)年に国の登録有形文化財建造物に指定されました。
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