福西志計子は、弘化4(1847)年、今の高梁市御前町で生まれました。 7才のとき、父を亡くし、母の手一つで育てられました。当時、女性や子供に勉学は不要と言われていた時代でしたが、志計子の母は、「不安な時代(幕末の動乱)を生き抜くには、読み書きを習得し技能を身につけることが大切」と考え、隣の山田方谷の私塾「牛麓舎」に志計子を入学させ、学問を学ばせました。 明治8(1875)年に岡山裁縫伝習所で裁縫を学んだあと、高梁小学校附属裁縫所の教員になりました。 一方では、明治15(1882)年に高梁キリスト教会が設立されると、洗礼を受け、同教会の女性の中心的指導者として活躍しました。 教員を辞めた後、岡山県初の女学校である私立裁縫所「順正女学校」を自宅で立ち上げました。「女性に自由な教育」を理念にした順正女学校は、裁縫のほか文学科を設け、高梁での女性の地位向上、女子教育に大きく貢献しました。
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