伝備中国府跡
関係する市町:総社市
でんびっちゅうこくふあと
関係のある情報
【場所】総社市金井戸【時代】奈良~平安時代
【指定年月日】昭和58年3月10日【所有】国
この史跡について
国府とは、律令制下、備前国・備中国などの各国に置かれた役所のことで、その国の政治上・軍事上の中心として、中央から派遣された国司という官僚が執務を行なったところです。
国司は、国を統治するため行財政・司法・軍事をつかさどり、郡の役人を指揮し徴税を行ないました。総社市が含まれる備中国は、9郡97郷が管轄下にあり、国府はそのうちの賀陽郡に置かれたと記録されています。国府が置かれた場所については定かではありませんが、「国府」「国府西」「北国府」などの小字名がみられる金井戸の地の中でも、「御所」の地名が残るこの場所が、有力な候補地になっています。
そのほか、総社宮付近や、西阿曽周辺に求める見解もありますが、いずれにせよ備中国府は総社市内に存在したものと考えられます。
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