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峠1・2・3号墳(歴史広場)

関係かんけいする市町しまち総社市そうじゃし

とうげいち・に・さんごうふん(れきしひろば)

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】総社市清音三因【時代】古墳時代
【指定年月日】平成7年12月13日【所有】総社市

この史跡しせきについて

 福山ふくやま西斜面にししゃめんには6世紀せいき後半こうはん~7世紀せいきなかごろの群集ぐんしゅうした古墳こふん数群すうぐんあり、これらを三因みより古墳群こふんぐん総称そうしょうしています。このうち、最南端さいなんたん位置いちする67からなる古墳群こふんぐんとうげ古墳群こふんぐんんでいます。とうげ古墳群こふんぐんのうち、1~3号墳ごうふん村道そんどう拡幅工事かくふくこうじにかかることから、平成へいせい5(1993)~平成へいせい6年にかけて発掘調査はっくつちょうさ実施じっしされました。
 その結果けっか、1号墳ごうふんけいやく11mの円墳えんふんで、墳丘ふんきゅう築造ちくぞうには人頭大じんとうだいの石を多く使つかっていたことがわかりました。2号墳ごうふんけいやく9mの円墳えんふんで、1号墳ごうふんと同じく7世紀せいき前半ぜんはんのものですが、よりあたらしい段階だんかいのものです。3号墳ごうふんけいやく10mの円墳えんふんと考えられていますが、円弧えんこえがかず直線的ちょくせんてき鈍角どんかくにとがることから、多角形墳たかくけいふん可能性かのうせいもあります。6世紀末せいきまつ~7世紀初頭せいきしょとう築造ちくぞうされ、最終さいしゅう埋葬まいそうは7世紀末せいきまつ~8世紀初頭せいきしょとうと考えられます。3号墳ごうふんだい石室せきしつは、長さ2.7m、はば0.76mをはかる小規模しょうきぼ横穴式石室よこあなしきせきしつです。3号墳ごうふん墳丘ふんきゅうはしせっして、古墳こふんほりの中にきずかれた特異とくいなもので、県内けんないではほかれいをみません。
 墳丘ふんきゅう形状けいじょうや、石室せきしつ築造ちくぞう特異とくいであることから、1~3号墳ごうふん移築いちくして、築造ちくぞう当時とうじ姿すがた復元ふくげんし、この場所ばしょ歴史広場れきしひろばとして公開こうかいしています。

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