流域キッズ

備中松山城跡

関係かんけいする市町しまち高梁市たかはしし

びっちゅうまつやまじょうあと

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】高梁市内山下地内【時代】鎌倉時代
【指定年月日】昭和31年11月7日【所有】国・個人(高梁市)

この史跡しせきについて

 備中松山城跡びっちゅうまつやまじょうあとは、高梁市街地たかはししがいち北側きたがわにある臥牛山がぎゅうざんつくられた山城やまじろです。いまからやく777年前ねんまえつくられてから、徐々じょじょにおしろおおきくなっていき、戦国時代せんごくじだいには21ヵしょとりでつくられていたといわれています。備中びっちゅうではおおきなお城であることから、島根県しまねけん尼子氏あまごし広島県ひろしまけん毛利氏もうりしうばいをおこなっています。
 いまからやく330年前ねんまえ石垣いしがきなどがつくられて、現在げんざいることのできるかたちになったといわれています。備中松山城びっちゅうまつやまじょう天守てんしゅは、このときからのこっているものであり、全国ぜんこくに12ヵしょのこっている天守てんしゅひとつで、日本にほん山城やまじろ天守てんしゅのこっているのは備中松山城びっちゅうまつやまじょうだけです。
 史跡しせき指定していされているのは、城内じょうないの8ヵしょであり、鎌倉時代かまくらじだいから戦国時代せんごくじだいとりであとや、江戸時代以降えどじだいいこう石垣いしがきなど、どちらもることのできるめずらしいおしろです。

無断むだん画像等がぞうなど複製ふくせい転載てんさい加工かこうすることをきんじます。