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山中鹿介墓

関係かんけいする市町しまち高梁市たかはしし

やまなかしかのすけはか

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】高梁市落合町阿部【時代】安土桃山時代
【指定年月日】昭和31年6月1日【所有】高梁市

この史跡しせきについて

 山中鹿介やまなかしかのすけ(1545~1578)は、島根県しまねけん尼子氏あまごしつかえた武将ぶしょうです。毛利氏もうりしやぶれたあと尼子氏あまごし再興さいこう毛利氏もうりし対決たいけつしましたが、上月城こうづきじょうたたかいでやぶれて、つかまえられました。毛利氏もうりし本陣ほんじんがあるともうら高梁市たかはしし経由けいゆして護送ごそうされている最中さいちゅうに、高梁川たかはしがわ阿井あいわたしでころされました。江戸時代えどじだいになり、備中松山藩主石川氏びっちゅうまつやまはんしゅいしかわし家臣かしんによって現在げんざい供養塔くようとうつくられました。

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