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恵池および恵池碑

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

めぐみいけおよびめぐみいけひ

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市玉島黒崎【年代】江戸時代
【指定年月日】昭和45年3月20日【所有】倉敷市

この史跡しせきについて

 玉島黒崎たましまくろさき沙美海岸さみかいがんの近くに三角形の人工池じんこういけがあります。天明てんめい6年(1786)、鴨方かもがた朱子学者しゅしがくしゃ西山拙斎にしやませつさいがここをおとずれたとき、沙美さみの人々の純朴じゅんぼくさにうたれ、『沙美さみ浦歌うらうた』という詩をつくりました。
 この詩を読み感動した倉敷代官菅谷長昌くらしきだいかんすげのやながまさは、寛政元年かんせいがんねん(1789)にこの地をおとずれ、拙斎せつさいの歌ったとおりの人情風情にんじょうふぜいれました。菅谷長昌すがのやながまさ拙斎せつさいの詩とともに、ここで見聞みききしたことを幕府ばくふ報告ほうこくしたところ、幕府ばくふから白銀はくぎん20枚が沙美さみの人々に下賜かしされました。
 沙美さみの人々はこの栄誉えいよ後世こうせいに伝えようと、みな農業用水のうぎょうようすいたくわえるための溜池ためいけつくり、恵池めぐみいけ名付なづけました。そして、池の北端ほくたんには拙斎せつさいがこの経緯けいいしるした文をつくり、曽道怡そどういが筆を取ったてられたのです。

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