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新熊野山

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

しんくまのさん

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市林、木見地内【年代】古代時代~中世時代(奈良時代以降)
【指定年月日】昭和48年5月15日【所有】熊野神社、五流尊瀧院他

この史跡しせきについて

 五流修験ごりゅうしゅげんは、役小角えんのおづの伊豆大島いずおおしまに流されたときにそのなんのがれ、海路児島かいろこじまにたどり着いた高弟こうていたちが開いたとされる修験道しゅげんどうの一派です。古くから熊野権現くまのごんげんを中心として「五流修験ごりゅうしゅげん」と呼ばれてさかえました。
 伝わっていることによると、奈良時代ならじだい紀州熊野権現きしゅうくまのごんげんをこの地に勧請かんじょうしたときに、木見きみ諸興寺しょこうじ新宮しんぐう熊野権現くまのごんげん本宮ほんぐう由加山ゆがさん那智宮なちぐうとして、熊野三山くまのさんざんになぞらえる見立てにより、新熊野山くまののさんしょうするようになったといわれています。蟻峰山ぎほうざんの深い緑に抱かれた一帯は、こうした歴史を伝える貴重きちょう区域くいきとして史跡指定しせきしていされています。
 域内いきないには、秀麗しゅうれい三重塔さんじゅうのとうがそびえ、五流尊瀧院宝塔ごりゅうそんりゅういんほうとう木立こだちの中にひっそりと立ち、熊野神社くまのじんじゃ社殿しゃでん檜皮ひわだの屋根をつらねています。
 こうした、国・県指定の文化財のほかにも、毘沙門堂びしゃもんどう報恩院跡ほうおういんあと諸興寺跡しょこうじあとなどの遺跡いせき遺構いこう各所かくしょ点在てんざいしています。

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