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福田貝塚

関係かんけいする市町しまち:倉敷市

ふくだかいづか

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】倉敷市福田町福田【年代】縄文時代
【指定年月日】昭和40年3月25日【所有】倉敷市

この史跡しせきについて

 縄文時代じょうもんじだいには現在の倉敷市街地くらしきしがいちのほとんどは海でした。当時の人々は海岸かいがんの近くの山のふもとに住み、りやりょう、木の実などの採集さいしゅうにより、食糧しょくりょうをとってきて生活していました。
 まいの近くには、貝殻かいがらや動物の骨などの食べかすや、土器どき石器せっきなどがてられた場所が残されます。こうした場所を貝塚かいづかと呼んでいます。
 倉敷市内くらしきしないには、縄文時代じょうもんじだい貝塚かいづかが多く知られています。福田町福田ふくだちょうふくだ古城池堤防西側こじょういけていぼうにしがわにある福田貝塚ふくだかいづかもそのひとつです。
 これは縄文時代後期じょうもんじだいこうきを中心とする貝塚かいづかであったことがわかっています。第二次大戦後間だいにじたいせんごまもなくおこなわれた調査では、特異とくい文様もんようを持つ土、土器どき石器せっき土偶どぐう埋葬まいそうされた人骨じんこつなど、当時の生活の様子をしのばせる豊富ほうふ資料しりょう発掘はっくつされています。

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