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備前・備中国境標石

関係かんけいする市町しまち早島町はやしまちょう

びぜんびっちゅうこっきょうひょうせき

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】早島町前潟【時代】江戸時代
【指定年月日】昭和44年6月17日【所有】早島町

この史跡しせきについて

 早島町はやしまちょう歴史れきしは、ちょう南部なんぶにある児島湾干拓こじまわんかんたく歴史れきしでもあります。戦国時代後期せんごくじだいこうき宇喜多うきたつつみといううみみずめる堤防ていぼう建設けんせつにはじまり、昭和しょうわ31(1956)ねん児島湖締切こじまこしめき堤防ていぼう完成かんせいまでやく400年間干拓事業ねんかんかんたくじぎょうおこなわれ、国境論争こっきょうろんそう開墾反対運動かいこんはんたいうんどうなど、さまざまなドラマをみました。
 このなかで、興除新田こうじょしんでん干拓かんたくをきっかけとした備前びぜん備中びっちゅうとの国境論争こっきょうろんそうやく100年間ねんかんあらそわれ、文化ぶんか14(1817)ねん決着けっちゃくし、早島下前潟はやしましもまえがた国境標石こっきょうひょうせきてられました。これは、6ちょう(やく700メートル)おきにてられたという10ほんのうちの1ほんで、早島はやしま干拓かんたく歴史れきし物語ものがた貴重きちょう資料しりょうです。

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