流域キッズ

延福寺跡

関係かんけいする市町しまち笠岡市かさおかし

えんぷくじあと

関係かんけいのある情報じょうほう

【場所】笠岡市走出【時代】平安時代
【指定年月日】昭和36年10月4日【所有】持宝院

この史跡しせきについて

 現在げんざい持宝院じほういんのある場所ばしょには、かつてえん(またはえん)福寺ぷくじという寺院じいんがありました。平安へいあん時代じだいひらかれた寺院じいんだとつたわっています。南北朝時代なんぼくちょうじだいには「延福寺山合戦えんぷくじやまかっせん」の戦場せんじょうとなりました。室町むろまち時代じだいには小田おだ乗清のりきよ梵鐘ぼんしょう寄進きしんしていることからかるように、小田氏おだしうしろだてをけてさかえていました。しかし、延福寺えんぷくじ江戸えど時代じだいはじごろにはおとろえたようです。そして、延福寺えんぷくじあと井原市いばらしにあった持宝院じほういん移転いてんしてきて、今日こんにちいたっています。

無断むだん画像等がぞうなど複製ふくせい転載てんさい加工かこうすることをきんじます。